僕らの人格は作られていた。「すべての教育は「洗脳」である。」感想レビュー

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学校で学べることは「知識」ではなく「常識」、だったんですね。

いつも「a composer」(@a_composer_info)をお読みいただきありがとうございます。

banba(@banba929)です。

「ホリエモン」こと堀江貴文氏の出している本に最近はどっぷり浸かっています。

というのも、共感ができるから。

かなりアクの強い人物なので、かなり批判的な人もいるかとは思うのですが、言っていることは至極正論であると感じます。

今のところ4冊の書籍を読了しているのですが、特にこの「すべての教育は「洗脳」である」は世の中の人たち、そして古い慣習に一石を投じるものであると思いました。

決められた時間に、定められた時間割を。

規則からはみ出たものを叩き、「常識」を植え付け、まんべんなくほどほどにこなせる人材を「会社」に出荷する。

今挙げた内容は「学校」についての説明です。

物心がついた頃には受けていた授業。毎日通っていた学校について疑問を持ったことはありますか。

自らのためにも要約と感想などを書き綴っておこうと思います。

インプットとアウトプットのバランスを取らないと覚えられないしね。

学校は「常識」を植え付けるためにある

「どうして学校に行かなきゃいけないの?」この質問に大人たちは「学問を修めるため」「世の中で必要な知識を学ぶため」などと答える。

しかしあなたは、社会に出て以降、学校で学んだ知識のうちどのくらいが「役に立った」と感じただろうか?

5割や6割、下手をすると7割以上の知識が「役に立たなかった」のではないだろうか。

それも当然だ。学校が教えることの9割は「知識」ではないからだ。

学校にとって知識など、添え物の意味でしかない。学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」より引用

著者は「学校では「知識」は大して学べない」と述べています。

そして「知識」と「常識」は別物と定義づけています。

「知識」

知識とは原則として「ファクト」を取り扱うもの。主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知のこと。

「常識」

常識とは「解釈」である。主観の入りまくった、その時代、その国、その組織でしか通用しない決まりごと。

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」より引用

つまり、ただそこに存在するのが知識であり、誰かの手によって作られるのが常識、と述べられています。

そして常識を押し付ける理由は、言われたことをこなす、従順な働き手に育てようとしている、とも。

たしかにこれはそのとおりであると感じました。

学校で身につけさせられるものといえば、間違いなく「学力」。

学力の優秀さで確かに「どれだけ従順に物事を処理できるか」が測ることができます。

従順さの指標が「学力」なのですね。

たしかにこの考えでいけば、高学歴な人間ほど、理不尽な作業への耐性が強いという判断がされるのも納得ができます。

「学校」はもともと「国づくり」のための教育機関

国家が育成したいのは、第一に優秀な「国民」である。

国家が国民に求める「務め」は大きく三つある。兵士として戦うこと、出産すること、そして納税だ。

国民から「国家なんてどうでもいいから戦いたくない」「子供を産まずに自由な人生を送りたい」、なんてことを言われたら国家は困ってしまう。

だからこそ、「国民としての意識」、つまりナショナリズムを強く持った従順な人間を国家は求める。

そして学校は、国民のナショナリズムを育むための恰好の教育機関だった。

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」より引用

ヴァーチャルな「国家」を存在させるためには。そのイメージを大勢に共有させる必要があります。

そして、その国家を守るためには国家にとっての「優秀な国民」が必要です。

それに学校はとても適した機関ということですね。幼い時より教え込むことで「洗脳」し、愛国教育を行う。

「立派な日本人」を製造し、「会社」に出荷。働き、納税、出産。

そう考えるとまるっきり「洗脳」ですね。幼かったからか疑問にも思わず通っていましたが、考えてみると恐ろしくもあります。

また、知らなかったのですが、欧米の先進国では国の検定を受けていない教科書を使用しているそうです。

つまり「国の認める内容以外を教えてはいけない」ということ。

欧米の先進国では、どんな教材を使うかはそれぞれの学校に任されているようです。

「国家」は消滅しつつある

インターネットの普及により、「国の権威」よりも「テクノロジーの利便性」の方が、人々の生活において大きな存在感を占めるようになってきました。

面白い例えをされていたのですが、

政府から「国民の暮らしを豊かにします」と言われるのと。

グーグルやフェイスブックに「あなたたちの暮らしを劇的に便利にするアプリを開発中です」と言われるのとどっちに期待してしまうだろうか?

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」より引用

僕は間違いなく「アプリ」だと感じました。

便利なインターネットの普及により、人種、国境、年齢などあらゆる壁を越えたコミュニティに居場所を作れます。それにより国に属しているという意識がかなり薄まっているのですね。

かつては「国家」「企業」「学校」だったものです。

また、様々なことを知れるようになり、「洗脳」されにくくなりました。

学びとは没頭である

著者は以前出版した書籍から一貫して「好きなことをしろ」と言い続けています。

「やりたいならやればいい。」と。そして本書ではその「好きなこと」をする力を「没頭する力」と呼んでいます。

学校のように受動的なものではなく、何かに自分からのめり込み、アクセルを踏み、ハンドルを握る。

そして、その心から没頭できるものこそ「学び」である、と。

まとめ

内容が濃すぎて書ききれません。

幼い頃から信じていた「常識」というのは誰かに刷り込まれたものだったのかもしれないと不安にもなりました。

著者の堀江貴文について何も知らないような状態でしたが、知ってからというもの、ひたすら考えに感銘を受けています。

「なにかの「バカ」になろう。これから何10年と経つと今需要のある仕事も無くなってしまっているかもしれない。

今自分が没頭していることが将来需要のある仕事となっているのかもしれない。」と思いました。

何より、それで生きていけたらきっと楽しいでしょう。

少し前より感じていますが、個人が企業を上回る影響力を持つことも可能な時代です。

「結局読んでもやらないんだよね。」と著者はよく書いています。マジで刺さります。

なんとかアクセルを踏んで見たいと考えています。動き出せたなら止まりたくないな、とも。

今は「10年後の仕事図鑑」を読んでみたくて仕方ありません。

読んでも「需要があるから」とそっちに流れず、好きなことをするつもりですが…

ぜひ一度読んで見てください。「教育」の本質とはなにかがよくわかった気がします。

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